北がわヒューマン・ヒストリー
少年時代・・・そろばん教室の2階
昭和28年、下町情緒あふれる大阪・生野区で三人兄弟の長男として誕生。自宅は商店街の一角、そろばん教室の2階にあった。下町は、垣根が無く人情味にあふれていた。近所の家に食事によばれることもしばしば。こうして気さくな庶民感覚は自然と養われていった。
青春時代・・・決意を固める
東京の高校に入学。親元を離れ、自立した青春時代を送る。北側少年が熱中したのは、サッカー。後にサッカー部は、全国大会に出場するまでになった。恩師との懇談の折、「庶民を守る人に」と決意。その夢を実現するため、弁護士となる決意を固める。
苦闘時代・・・挫折に屈せず、弁護士に
大学入学当初から司法試験をめざし勉学に励んだ。唯一の楽しみは、映画「男はつらいよ」。上映される度に、映画館に足を運んだ。4年生で、一次試験に見事合格するも二次は不合格。卒業後、京都で働きながら司法試験をめざした。
弁護士時代・・・苦しむ庶民を救う
昭和 53年、司法試験に合格。昭和56年に晴れて弁護士に。28歳の青年弁護士誕生。サラ金、地上げ、悪質訪問販売などの被害者の声を徹して聞き、庶民を食い物にする悪徳業者と法廷で真っ向から闘った。綿密な調査と、すぐに飛んでいく現場主義を信条とした。生活者を守る姿勢と、鋭い言論の力は、この時養われた。
衆議院議員に・・・ニッポンをしょって立つ
平成2年、36歳の若さで衆議院選に初当選。弁護士時代と同様に生活者を守る姿勢をつらぬき、国会で活躍。平成5年、大蔵政務次官。平成12年、46歳にして党の政調会長に就任。自民党との連立政権の舵取り役を担う。この間、3人の自民党政調会長と渡り合い、子育て支援、中小企業支援、議員の特権廃止、官製談合防止など、公明党ならではの実績を残す。
国土交通大臣時代・・・徹して、現場へ
平成16年、国土交通大臣に。各県の国土交通省の出先機関をくまなく回り、現場の声を聞いた。これまでの大臣観を180度変えた。省内では、職員と肩を並べ、同じ食堂で共に食事もした。在任中、台風23号や、中越沖地震などの災害に見舞われた。又、大きな列車事故も起きた。一報が入ると、すぐに現地に駆けつけた。同時に、国土交通省の幹部も動き、素早く救援策が決定されていった。この行動力こそ、北側の真骨頂である。
北がわヒストリー
北がわの素顔がわかる写真を、幼少期から現在に至るまでダイジェスト版にてご紹介。 写真をクリックしてみてください!